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インタビュー 株式会社めりけんや/代表取締役社長 諏訪輝生 氏
(前略)
空海とさぬきうどん
奥山 ところで「空海とうどん」のことです。
コムギ文化はメソポタミアから水餃子の形で伝わり「餛飩」と呼ばれていました。唐代の長安で皮と餡が分離した麺条(切り麺)が生まれました。いつのことか定かではありませんが、767年に杜甫がつくった『槐葉冷淘』という詩に「麺条」が出ていますから、804年に渡った空海は間違いなく麺条を食べています。
諏訪 だから作り方を持ち帰っただろうと・・・。
お寺さんというのは、自分たちの食べ物は自分で作るという世界ですから、料理というものが身近にある。そのころ「切り麺」がはやっていたんだったら作っていただろうし、帰ってきて、こんな食べ物があったと伝えることは十分ありえます。昔から讃岐の国は降雨量が少なく乾燥地で小麦の産地であったようですから、そこのところは符合します。
それと、日本では「切り麺」より手延べ麺のほうが多いんですね。稲庭も氷見も五島も。それが香川ではずっと昔から「切り麺」が発達したというのは、そのあたりが原因かと思うのですが・・。
奥山 いろいろ説がありますが、「切り麺」の普及には平たい麺板と丸い麺棒を作る木工技術が必要とされています。
諏訪 丸い麺棒がね。
奥山 石毛直道先生のご著書によりますと、それは鎌倉時代から南北朝時代にかけてではないかということです。したがって、「切り麺」が普及したのは室町時代あたりではないかと、先生は推測しておられます。文字は「餛飩」がそのまま用いられたほか「饂飩」があり、「うんどん」「うどん」などと読ませていたそうです。
諏訪 なるほど。
奥山 したがって、それまでは千切って手のひらで延ばして具を包んでいたか、手延べうどんしかなかったのではないかということになります。
諏訪 そうなると空海の時代とのあいだに空白がありますね。そのあたりの研究をする必要がありますね。
奥山 おっしゃるとおりです。要は、石毛先生の仮説が讃岐では成り立たないことが証明されればいいわけで、すでに研究しておられる方がいるのではないでしょうか。
それに、私は必ずしも「切り麺」にこだわらなければいいのではないかと考えています。
中国では「切り麺」と餛飩(=ワンタン)は平行して存続していますし、日本の「切り麺」も、一部の階層や地域で早くから食べられていた可能性は否定できません。先ほどの話はあくまでも一般的な「普及」についてです。
それと、香川には「打ちこみうどん」という他にない伝統食があります。これなら丸い麺棒は必要ないわけで、このあたりも興味深い研究課題となりそうです。
決め手となるのはおそらく製粉技術に関する知見でしょう。いずれにせよ、状況証拠はじゅうぶんあるのですから、そのうちアッと驚くような研究発表があるような気がします。9世紀から15世紀まで700年もの間、何事もなかったとは考えられませんからね。
「さぬきうどん博物館」を
奥山 お生まれは香川県ですね?
諏訪 高松市内です。
奥山 うどんは離乳食から?
諏訪 家が農家で小麦も作っていましたので、よく家で母親が手打ちうどんを打ってくれました。子供のころはいつも足踏みをさせられていました。うどんは大好きで、小学生のとき、10日間毎日3食うどんを食べ続けたことがあります。
奥山 香川のみなさんのうどんに対する愛着の深さは他県の者には容易に理解できません。私もこのごろやっと解りかけたところです。この「生活文化」は世界に誇りうるものです。
諏訪 そうですね。私もうどんの販売で全国を回っておりますが、こんなにうどん食べる県民は他にはいないと思います。
奥山 香川県のうどん店は何軒くらいとみておられますか?
諏訪 うどん専門店は800〜900店でしょう。喫茶店などでうどんを出しているところまで含めますと2000軒はあると言われています。
私の子供のころ、農家はどこも冬は小麦を栽培しており、村のいくつかの製粉所で製粉してもらっておりました。その製粉所の多くが製麺所を営み、農家は小麦粉を預けて、製粉所は大福帳で個別管理し、私たち農家は粉でもらうか、うどん玉でもらうかしておりました。そのような村の製麺所(製粉所)が、製麺所タイプのうどん店として今日の観光客に評判になっているのです。当然製麺所ですから、うどん店ではありませんので、そこで食べるのならば、お客の勝手(自分で好きなように=究極のセルフ)にするしかないのです。
奥山 「セルフサービス」という農村の生活現場での体験は、まぎれもなくグリーンツーリズムそのものです。「グリーンツーリズム」はヨーロッパで生まれ発達したライフスタイルですから、あちらでも共感されやすいと思います。
それに、いちばん大事な点ですが、「コムギの美味しさ」が追求された姿があるということです。「素材そのものの美味しさを引き出す」という日本の伝統食文化が背景にあります。
一つ提案があります。「さぬきうどん博物館」を建設することです。目的の第一は、歴史的に長く地域的に広範な「さぬきうどん」の資料を収集し研究の用に供すること、第二は、「さぬきうどん」の在り姿をきちっと紹介すること、第三は、「さぬきうどん」の現在とこれからにつき経済・社会・文化の観点から研究すること、第四は、「さぬきうどん」店の経営相談に応えること、第五は、世界に発信するための拠点となること、などです。
諏訪 「さぬきうどん博物館」ですか、良いご提案だと思います。これまでも「さぬきうどん研究会」が国民文化祭などで讃岐うどんの歴史や現状の資料をパネルにして発表しておりますが、このような資料を中心にいろいろ集めて、「讃岐うどん」を全国の、そして世界中の方々にアピールするということが大切だと思います。ただ現実には場所とか設備等の問題もあり、すぐには難しいかも知れません。これから麺に関係するイベントが続きますので、その中で是非実現に向けた議論をしてみたいと思います。
(後略)
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