麺に関わる情報・リポート・論文の専門誌
創刊記念座談会
「麺とたわむれ、麺を楽しみ、麺に学ぶ」より抜粋
OSとしての「麺」
坂口 パソコンにOSがあるように食にもしっかりしたOSがないと、アメリカのメチャクチャな食料戦略でシャブ漬けにされて文化が毒され、やがて人類は亡びますよ。アジアのOSですよ、麺は。OSがオタオタしてたら食文化そのものがダメになる。
駄田井 あそこはビジネスばかりで文化がない。
実藤 OSと聞いただけで拒絶反応を示す人もいますけど、でもそうですよ。最近はリナックスっていうのがあるでしょう。みんなに広く開放するっていう考え方は麺に向いてますよ。 何もかもアメリカでなく、ときどき自分を取り戻すことは大切です。
坂口 アプリケーションに何を乗っけるかが問題です。 一つ大事な穀物は大豆。「肉もどき」を作り出したような大豆文化に、麺と同じような広がりをもたらさないといかんと思う。
奥山 韓国に「コンククス」という大豆麺があるそうです。
坂口 それそれ、そんなものができないかと言おうと思ってた。 それからもう一つ、アジアに特徴的な食文化は発酵です。発酵文化というのが上に乗っからないといけない。ミドルウエアとしてね。
(中略)
 麺もつぎのステージではもっと発酵を取り入れるべきではないか。例えばラーメンもスープを寝かせて新しい味をかもし出すとか。
実藤 「かもし出す」というのはいい言葉ですね、ロマンチックなひびきがあって。だいたい食べ物はロマンチストが論じるべきです。というより、食べ物好きはロマンチストになるんですよ、きっと。
坂口 もちろんですよ。ロマンチズムと、それからエロチシズム。食べ物というのはそういうもんです。「のど越し」なんかまさにエロス。(笑い)
奥山 エロスは「色情」でもあるけど本来は「生の本能」「生きる歓び」でしょう?
駄田井 愛、愛や。
感性と表現
奥山 味覚の表現がきわめて貧しいと思います。グルメ本をみると「あまい」「やわらかい」「コクがあるのにサッパリしてる」しかないのかのごとくで、まるで言語失調症です。
坂口 言語の専門家を入れて表現法を開発することも必要ですけど、その前に感性を磨くことを考えないと。例えば、日本人は色を重視する。食を味覚だけでなく、「色を味わう」というようなクロスオーバーの感性です。
奥山 「音を観る、香りを聞く」というのもあります。先生の言われる「五体五感で味わう」に通じますね。 「感性」はたいへん重要な課題で、麺文化論の中心テーマとさえ思っています。「雑誌に美味しいと書いてあったから美味しいと感じる」「郷土麺だから美味しい」という態度は「文化」以前のものです。自分の素直な感性を呼び起こし自分の言葉で語るというのは、今の日本でもっとも大切なことの一つではないでしょうか。感性の確立があって初めて「共感」も生まれるわけですし。 その上で、やはり成熟した表現が求められます。
都市の意匠「屋台」
奥山 麺文化と屋台は切っても切れない関係にあります。日本では、福岡市を例外として、ほとんど消え去ろうとしているのが実情です。行政が目のカタキにしているためです。しかし東南アジアでは元気で、活力の源泉になっています。屋台は「歴史」になるのか、それとも新たな意義を獲得していくのか、大きな課題です。 その福岡でいま屋台が問題になっています。地下鉄工事が終わって、屋台をもとの場所に戻す、いやダメだ、といったことです。主として「衛生」が問題になっています。
坂口 西欧的衛生学とアジア的カオスとの闘いです。屋台はもともとアウトローなもんで、規制にかなっているかとか、衛生的でないとかいう問題ではない。違法・不衛生は当たり前で、ギリギリのところでこれまでやってきた。やってこれたということは都市にとって必然だったからです。つまり、近代都市のクリーンさは異常であって、屋台はこれに対するアンチテーゼとして生まれた「現象」なんです。都市の「意匠」です。屋台の近くに住めないというなら住まなければいい。どうなるかは行政と住民の力関係で決まる。どっちが強いか勝負したらいい。
奥山 過激ですね。・・・適否の次元で論じるかぎり、いつまでたっても展望は拓けないのも現実です。ここは知恵を出すしかありません。都市の成熟度が問われています。
(中略)
 編集者の立場からひと言申しあげます。 麺の世界は、その姿形からの連想に従って申しますと、まず粉を練った直後の混沌とした塊は、いかような展開もありうるという可能性を思わせます。つまり探究テーマの宝庫ということであり、学生・院生を含む研究者には大いに関心を持っていただきたいと思います。例えば、「なぜ札幌が味噌ラーメンで九州がとんこつラーメンなのか」といった人文地理学からのアプローチを、寡聞にして知りません。また、一見無関係のような国際政治論にしても、小麦戦略を介してみますと麺と大いに関係のあることが解ります。 つぎに、麺棒で幅広く延ばした姿からのアナロジーですが、広く世界につながっていることを思わせます。イベリア半島にソバがあると聞くと、いっきょに距離感が縮まります。イスラム社会にヒツジ肉のラーメンを流行らせないか、という空想も楽しいし、さらにもっと壮大に、来るべき80億人の地球丸の食糧問題で麺の果たす役割は何かということもあります。 最後は細長く伸ばすか切るかした麺条で、過去から未来に連なる歴史と文化を思わせます。麺と文化、この奥深い課題は汲めど尽きせぬ井泉のようなものにちがいありません。 本誌はこれら諸相に応じた、信頼のおけるメディアとしての地歩を築いていきたいと念じています。