麺に関わる情報・リポート・論文の専門誌
昆布について(段野 治雄)より抜粋
一  昆布の歴史
  こんぶの語源については、中国最古の類語・語釈辞典「爾雅(ジガ)」(紀元前後1世紀に完成)に「綸布(クァンプ)」とあり、これが昆布を指す語として最古といわれている。日本では万葉集に「軍布(クンプ)」とあり、「昆布」の文字が出てきたのは「続日本紀」(797年)である。平安期には「延喜式」に何ヶ所も登場する。
  蝦夷から献上品としてもたらされ、当初は菓子として食されたようである。
  「昆布売り(コブウリ)」という狂言がある。14世紀、後醍醐天皇の侍講で比叡山の学僧であった玄恵の作といわれている。太刀持ちを連れていない大名(武士)が通り掛りの昆布売りを刀で脅して太刀持ちをさせる。京の都に入ったら今度は昆布売りが逆に大名を刀で脅し、町中を色々な節をつけた売り声を出させて売りに廻らせる、という筋である。この時代に若狭の小浜からいわゆる鯖街道を通って昆布が都にもたらされ、寺社に限らず広く町中に売り歩かれていたと推測される。
  ちなみに歴史に残る最古の昆布屋は京都の「松前屋」で創業1392年、南北朝時代に南朝に使えた武士が禁裏御用の商人になって昆布等の商いを始めたそうである(当代は32代目)。
  蝦夷地との交易が日本海ルートを通う北前船によって盛んになり、敦賀→琵琶湖→大津→京へと水運が利用され、戦国時代から豊臣の時代にはこのルートは最盛期を迎えた。当時の琵琶湖の水運資料によれば、最大の荷物は米であったが昆布がそれに次ぐことが記録された船もあった。
  しかし17世紀中頃に北前船の西廻り航路(二の「コンブロード」の項参照)が開かれ、元禄時代(1688〜1704年)に大坂の安治川が開削されるなど水の都として整備されると、蝦夷地との物流は西廻り航路が主流になる。そして昆布の商いの中心が京から大坂に移ることとなった。
  さらに江戸時代後期高田屋嘉兵衛が松前から函館へ、日高から道東へさらにエトロフまで商圏を拡大し、昆布量産地から大量の昆布が大坂に流入、ここに昆布の食文化が大きく花開くこととなった。(注1)
  昆布加工品の代表たるおぼろ昆布やとろろ昆布もこの頃の発明品である。
  明治時代には各種加工品も考案され、市内各地に昆布商が見られるようになる。1882年(明治15年)発行の名店案内「浪速の魁」には小倉屋・翁昆布など多数の昆布小売り店が掲載されている。また1903年(明治36年)の内国勧業博覧会には有名小売り店が出品して受賞している。
  1904〜1905年の日露戦争後に南樺太が領土となり、良質の樺太昆布が大量に移入された。関西では大正7年に市内各地に公設市場が開場されるとそこに必ず昆布商が入るなど、昆布は家庭でのごくありふれた食材の一つとなっていった。
  太平洋戦争後は南樺太のみならず北方四島まで失った結果昆布の供給量は半減、加えて量産地の北海道の生産量は漸減しており、「昆布は高価なもの」になってしまったのは誠に残念である。

二  コンブロード
  国内の昆布主産地北海道から歴史的に京・大坂へ運ばれた経路を「昆布の道」コンブロードと名付けられたのは、昆布の研究家北海道大学名誉教授の大石圭一氏である。北海道から山形・富山・高岡等を経て、敦賀→琵琶湖→大津→京、敦賀→西廻りで山陰海岸→関門海峡を経て瀬戸内へ→大坂へ、などのルートである。そしてこのルートに沿った各地で昆布の食文化が伝承されており、今も家庭での消費量が多い。(注2)

三  中国での昆布
  古い文献にこんぶを指す文字があったことは前述した。中国では昆布が自生していないところから、鎖国時代も長崎から、薩摩藩が琉球を通して朝献貿易の形で日本より渡っていた。明治になっても刻み昆布が大量に神戸港や横浜港から輸出された。(注3)
  その後満州開拓時代に日本から養殖技術が持ち込まれ、戦後の日中国交断絶のあいだに大量の養殖昆布が生産されるようになった。主産地は大連・青島・福建で、現在の生産量は干し換算で40万トンともそれ以上とも言われている。現在日本には約2000トンが輸入されている。

四  昆布の生産
  昆布は寒流系の褐藻類でコンブ目・コンブ科、基本的には2年で一人前になる。国内では毎年早いもので6月から、通常7〜8月に採取される。圧倒的な量産地は北海道で90%以上、次いで東北3県の青森・岩手・宮城に限られる。ほんの少量の養殖が行なわれているところがあるが(神奈川県、大阪府、徳島県、愛媛県、宮崎県等)、自生はしていない。
平成8年〜17年の10年平均供給量は…
北海道 22500トン、東北 1800トン、輸入 2200トン 合計 26500トン
参考までに、昭和6年〜15年の供給量は…
北海道 54800トン、東北 2600トン、樺太 5500トン 合計 62900トン
(但し戦前の北海道には北方四島が含まれる)
  なお現在も昆布は原則輸入禁止であり、IQ(輸入数量割当)品目である。その枠も生産者団体に割り当てられており、北海道沿岸漁民の社会政策上当面自由化される見込みは立っていない。

五  昆布の旨み
  昆布の旨みの代表がグルタミン酸であることは周知の通りである。しかしグルタミン酸のみを味わっても昆布の旨みには勝てない。昆布出しの旨みはグルタミン酸はじめ微量ながら含まれるアミノ酸類などの複合の味である。
  出しを取るのに使われる代表的な昆布には4種あり、その特徴をまとめると次のようになる。(表1)



  真昆布は道南高級3銘柄といって、さらに白口元揃(シロクチモトゾロエ)昆布・黒口元揃(クロクチモトゾロエ)昆布・本場折(ホンバオリ)昆布に分かれる。
  白口元揃は混ざり気のないすっきりした甘味で、最高級のもの。
  黒口元揃はりしり昆布ほど辛口ではないが白口よりさっぱりした味で、白口に次ぐ品質。
  本場折は白口・黒口に比べてやや混ざり気が多く出しの色も両者より濃いが、旨みは十分であり価格も手ごろである。
  3銘柄の夫々が上記のような独自色を持ち、利尻やラウスとは異なっている。
  このような出しの特徴は各地の食文化と密接に関わっている。京都の茶懐石料理にはきりっと締まった利尻昆布の出しが欠かせないし、大阪のきつねうどんにはやはり真昆布のまったり甘口の出しが似合いである。関東へ進出した関西料亭も、素材の味を生かすために真昆布か利尻を使う。
  戦後の食生活が洋風化され外食が多くなり全体として薄味から濃い味に傾斜しているが、ラウス昆布の濃厚な出しの味が好まれるようになったのにはそんな背景がある。どんな料理に使ってもラウス昆布は昆布味を強く自己主張するので、昆布好きや濃い味の料理には最適である。
  日高昆布は他の3種に比べて高価ではなく、また出し以外の用途として煮しめ用に大変適している。出しもそこそこ濃い味がするので、名古屋から関東にかけてごく一般的に愛用されている。
(後略)