麺に関わる情報・リポート・論文の専門誌
アジア麺文化研究会・日本うどん学会
合同研究会 研究報告
現代韓国の麺文化(上)料理研究家 藤本わかな より抜粋
[1]韓国の麺
麺の呼称
  粉類に水分を加えてこねて作る細長いものを呼ぶのに「ミョン」と「ククス」という言い方がある。一般的には「ミョン(麺)」は中国の漢字由来の表現で、「ククス」が朝鮮半島固有の名称となる。ククスは茹でた麺を水につけて掬い上げるということから「掬水」という漢字をあてることがあるが、小学館の朝鮮語辞書をはじめ幾つかの辞書を引いてみると漢字表記はない。
  古くから麺類が食べられたと思われるが、文献にはククスを指す「麺」の字が出るのは高麗時代の北宋からの使節団の見聞録『高麗図経』(1124年)で、高麗に到着した一行がもてなされた食事のなかに「食味十余品而麺食為先」(食味には十あまりの種類があり、その中で麺食を一番とした)という文章がある。これが「麺」という言葉の初めである。しかし中国では小麦の粉を指して麺と言っていたので、具体的な調理法の資料はないため、細長いものだったかどうかは分からない。br>   そのうち小麦粉を指していた麺が、やがてそれからつくる細長いものを指すようになり、小麦粉に限定せず、蕎麦粉由来のものを指すようになった。
  18世紀後半から19世紀にかけての文献には緑豆や大豆、葛などの麺がみられる。
麺の位置付け
  韓国の土俗信仰に根差す巫俗祭祀や、寺刹のお供えものに麺は用いられない。反面、「餅」はすべての祭りや宴会で必須の食べ物となっている。これは、餅と麺の伝統の深さが異なるためである。餅は韓国の主作物である米、もろこし、粟、大豆、小豆、緑豆などでつくる食べ物として、雑穀農業を始めたときから作られて5000余年の歴史を引き継ぎ、人々の生活に深く根を下ろしながら伝統を形作ってきた食べ物である。
  これに対し、小麦栽培が始まったのは明確ではないが、百済時代の軍倉跡から小麦が出土されたので三国時代頃からと考えられ、米などに比べると歴史が浅く、その上、収穫量が多くなかったので、麺は日常の食べ物として普遍性を持つことができなかった。現在では小麦を精製して作る麺類は韓国では日常の料理として手軽に様々な食堂で食べることができるようになったが、その貴重さの名残りゆえか、ハレの日に別食(普段は食べない特別な美味しい食べ物)として祝いの席や、歳時風俗では初物の小麦を収穫する初夏に、季節の食べ物として欠かせないものとなっている。
  高麗時代の宴会は麺を食べる日でもあった。高麗では小麦が少なく、中国から買ってくるので値段がとても高く、そのため麺は豪華なご馳走であり、麺は宴会料理として用いられ宴会時でないと使われなかった。
  また李朝時代の宮中では、昼食時に王様に麺類や饅頭(餃子類)を提供していたが、宴会で酒肴膳の後は「麺床(ミョンサン)」(麺類の膳)が提供された。この習慣が民間に伝わり、庶民家庭でも小麦粉は大事に保存され、ハレの日の婚礼や誕生日、還暦などの宴会がある時に麺はもてなし料理として来客にふるまわれた。朝鮮時代の冠婚葬祭の指針書『四礼便覧』にも麺は祭祀の祭物と定められているが、これは麺が長い姿をしているので長寿と追慕の気持ちが長く続くことを念願する意味に解釈される。結婚式には新郎と新婦の縁が長く続くようにという願いが込められるため、ククスが欠かせないので「ククスを食べる」といえば結婚式を挙げることを意味し、なかなか結婚しない人に対していつ結婚するのかという意味で「いつククスを食べさせてくれるのか」などと言ったりする。
 また儒教による通過儀礼の冠婚葬祭では多くの人が集まるが、これをもてなす飲食の準備は大変である。多くの客をもてなし、早く回転させるためには多くのおかずを必要とするご飯より、麺類のほうが便利ということもあった。
粉食(プンシク)の発達
  先ず中国大陸との交流がある。高麗は中国を統一した宋と外交関係を結んでいた。多くの文化交流があり、商船を通じた食品交流も多かった。砂糖、コショウなどをはじめ、麺食も宋の影響であるといえる。
  高麗時代の寺院は財力と人力が集中し野菜栽培や酒造業を営んだ。具体的なことは未詳だが麺の商品化も高麗時代に始まったと思われる。また小麦粉で作る蒸しパン「霜花(サンファ)」も商品化された。
  次に自然条件があげられる。朝鮮半島はアジアの高温多湿のモンスーン地帯、つまり稲作地帯であるとはいえ、日本に比べると寒暖の差は厳しい大陸性気候である。とくに朝鮮半島の北部においては、最近は稲の品種改良などで米づくりの範囲は広まったが、一般的には寒さが厳しく米作に適していない。粟、キビ、蕎麦などの雑穀、トウモロコシの栽培が行われていたことにより、特に朝鮮半島の北部では蕎麦粉を使った冷麺が発達した。
  また朝鮮半島では食事回数は軍隊や農業など重労働に従事する人をのぞき、1日2食が長い間続いた。この2食時代の食事と食事の間に、粉食がよく利用されるようになった。韓国では昼食のことを「点心(チョムシム)」と呼ぶが、これは中国料理の点心(麺、饅頭、餅などの粉食)と同じ表現となる。もともと朝と夜の2食であった食生活を補うために、昼ごろ軽く食べていた食事が昼食に定着したが、一種の間食のようなものであったことから、粉食は正式な食事としての認知は少なく、このようなことからか「麺を食べる腹は別にある」とも言われ、今ではお腹いっぱいに焼肉を食べた後にも冷麺を食べたりする。
  しかし麺が今日のように一般的な食べ物になったのは、1950年代以降、特に朝鮮戦争後アメリカの余剰小麦が大量に輸入されて、小麦粉ばかりの麺も広く一般化され、スパゲッティなどの外来麺やインスタントのラーメンが常用食として広く普及していく。60年代には政府は全ての国民に対し麦の混合食とともに粉食の奨励をするようになった。国民食生活改善運動の一環として、小麦食品がまるで栄養バランスのよい食事の代表であるように宣伝された。そのため、1日に1食程度小麦粉を利用した食品が膳にあがるようになった。
(後略)


[2]製麺法による分類 [3]麺料理のいろいろが続く